最近は自己啓発系の本ばかりを読み漁っているナナホシです。
毎日、毎日、読書に明け暮れていると、次から次へとやりたい事がわいてきて、やる気もみなぎってきて、もう毎日ワクワクがとまらない!状態。笑
でも、そうなると、必ず当たる壁が「時間が足りない!」ということ。
もっと本を読む時間が欲しい。
読んだことを自分なりに理解し、まとめるために、読書ノートを書く時間も欲しい。
良い本はブログで多くの人に紹介したい。
新しい取り組みやメソッドを知ると、挑戦してみたくなる。
2児の子育てをしながら、少しだけ外で働く、現在のライフスタイルでは、どうしても自分の自由な時間を捻出しようと思うと、朝、ということになります。
現在3時には目覚ましを鳴らし、遅くても3時半にはのっそりと起き出して、いそいそと朝活を始めているわたしですが、それでも、時間が足りません。
うーん、もう少し工夫することはできないものか。
これ以上早起きするのは現実的じゃないしな・・・(というか、もはや朝ではない!?苦笑)
と、思案していたところに、ふと目に止まった1冊の本がありました。
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「ねばならぬ」に縛られた心が軽くなる『一汁一菜でよいという提案』
料理研究家、土井善晴氏の著書、『一汁一菜でよいという提案』。
少し前に買って、手元に置いてあったのですが、自己啓発系の本に追いやられて、読まずに立ててあったのを、手に取りました。
きっかけは、尊敬するブロガーさん、オズさんが記事にされていたのを目にしたこと。
おお、この本うちにもあったな!と手に取ったのでした。笑
料理、特に和食の基本形と言えば「一汁三菜」でしょうか。
パソコンでも、「いちじゅういっさい」は一度で変換できないのに、「いちじゅうさんさい」は予測変換がでてきます。笑
そのくらい、「常識」になっている「一汁三菜」という考え方。
ご飯、汁物と3種のおかずという食事の基本形です。
さらにいうと、「おかず」にも「主菜」と「副菜」があり、「主菜」は主にお肉やお魚などのいわゆる「メイン料理」、というのも、大抵の人と共有できる「常識」です。
ところが、この食の「常識」は、戦後、外国の食文化が勢いよく流入し、日本の家庭の食卓に浸透する中で作られた「常識」であるということを、本を読み、初めて知りました。
栄養学的にみた主菜とは、肉や魚のことで血や筋肉を作るもの、主役の料理です。副菜は野菜で、ビタミンやミネラルでバランスを整えるものです。これを一汁一菜、二菜、三菜といった従来からあった和食のかたちに当てはめて、「主菜と二種の副菜(一汁三菜)」を理想的な食事としたのです。
栄養価値を文化より優先しておかずを分類するすることで、栄養学的には分かりやすいのですが、人間は栄養を食べてきたのではありません。
日本にはそもそも、主菜と副菜を区別する習慣はありませんでした。すべてがご飯のおかずでした。
『一汁一菜でよいという提案』より引用
最低限の栄養を考えた時に、一汁三菜が基本であると思い込んでいた自分。
だから、仕事で疲れて、どうしてもメインが用意できないとき、裏のスーパーにお惣菜を買いに走ることもしばしばありました。
でもそれは、日本にもともと根付いていた考えではなく、後付けされた「常識」だったということを知り、目から鱗が落ちた気分です。
暮らしにおいて大切なことは、自分自身の心の置き場、心地良い場所に返ってくる生活のリズムを作ることだと思います。その柱となるのが食事です。一日、一日、必ず自分がコントロールしているところへ帰ってくることです。(p.9)
この一文を読んで、
ああ、別にメインがなくたって、ご飯とお味噌汁さえ用意できればそれでいいんだな。
きちんと自分の手で作り、コントロールした食卓が用意できれば、きっとそれは家族の暮らしのリズムを作ることになるのだな。
心を込めて味噌を溶き、家族の食事を整えられればそれでOKなんだ、とものすごく心が軽くなりました。
どうにか、朝活の時間を伸ばせないか、朝食の準備時間を短くでいないかという打算的な思いで読み始めた本でしたが、「家族の食を預かる」、ひいては「家族の心と体の健康のかなめを担う」食事作りの、大切な原点を学びました。
「今日は手抜きでごめんね」
なんて、言葉はいらないのだな。
私はちゃんと、最低限の一汁一菜を守りながら、家族のために、今日もみそ汁を作ります。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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